今日も朝から天気が良く、まさに夏日和である(画像は佐倉市の田園風景。朝の出勤途上、電車内から撮った)。

さて、前の日記に続けて、もう少し、帰省した時のことを記しておこう。
今回の帰省は、法事への顔出しと、父の還暦祝いが目的だった。
父は今年62歳なので、還暦は既に過ぎている。では、なぜ2年も経って還暦祝いなのかといえば、2年前は、還暦を祝ってしまうと仕事に対する意欲がなくなりそうだ、という本人の意向があったからだ。今年6月末で、父がひとまず常勤の仕事を引退したため、還暦のお祝いをしようと、姉・妹・弟たちと話し合ったのだ。
7月の半ば頃から、兄妹間の電話とメールのやりとりを始めた。結局、8月2日の法事の後にお祝いをすることが決まり、また前回の日記の通り、料理など細かい準備については、弟夫婦が取り仕切ることとなった。
ここまでは、話し合いもスムーズにまとまっていったが、なかなか決まらなかったのが、プレゼントである。一時は旅行をプレゼントすることに傾きかけていたが、海外にするか国内にするか、飛行機にするか鉄道にするかなど、意見がなかなかまとまらず、その他諸々の理由から、結局、現金をプレゼントすることになった。
さて、当日である。1か月分の仕事の疲れを鬱積し、へろへろ状態で実家に辿り着いた私を出迎えてくれたのは、可愛い甥っ子たちである。4月の始め頃、私の家に泊まりに来ていた姉の子供達だ。
大人たちはといえば、皆、庭側にあるウッドデッキに出ていた。この日は、ちょうど近所の花火大会の日で、皆は花火を見ながら酒を飲んでいるところだった。

(→ http://fukuyama-s.or.jp/hanabi.html )
私も花火を見ようと、急ぎ着替えグラス片手にウッドデッキに出た途端、一発の打ち上げ花火が炸裂。すかさず、姉が「今のが最後の打ち上げ花火だよ。あんた遅すぎ」とご丁寧なお出迎え。そ、そんなこといったって・・・(T△T)。線香花火以上の寂しさを覚える打ち上げ花火であった。
花火大会が後わり、いよいよ父親の還暦祝いの開始である。参加者は、父と母、姉と義兄及び甥っ子3人、妹、弟夫婦、私の計9名。父には、還暦祝いを行うことを知らせていない。あくまで法事打ち上げの2次会という名目で、飲み会が始まったのだった。
ところで、皆は花火を見ながら飲んでいたので、この時点で私と甥っ子達を除き、皆既に酔っ払っている。なのに、父がブランデーらしきボトルを持ってきて皆のグラスに注ぎ込む。そして義兄の音頭にて乾杯。わが家はつくづく酒飲み一家だと思う。
ちなみに、銘柄が分からなかったが、乾杯で注がれた酒は1946年物のアルマニャックだった。豪勢だ。実家にいる時でないと、絶対に飲めない酒だろう(笑)。
乾杯したところで、義妹がロウソクの灯されたケーキを持ち、ダイニングへ入ってきた。いよいよサプライズである。ケーキを見た父は?マークを頭に付け、きょとんとしている。さらに、そこへ姉が熨斗袋を登場させた。そして、姉の合図で皆で「還暦おめでとう」の言葉を述べた。その途端驚くべきことが起きた。ようやく事態を悟った父が、号泣してしまったのである。
もともと涙もろい父であるが、あんなに泣いたところは初めて見る。皆もらい泣きしそうだったが、何とか父を泣き止ませ、無事、姉が熨斗袋を、弟が焼酎を手渡すことができた。下の画像は、左上から時計回りに、熨斗袋を持つ父と母、焼酎、われわれ6人兄妹、われらが家族。


このときまで意識していなかったが、いつの間にやら私の兄妹は、私を含め6人となっていた。図らずも我々6人兄妹の最初の共同作業となった還暦祝いは、予想以上に父が喜んでくれ、ひとまず大成功だったといえるだろう。
後日談であるが、父は、われわれのプレゼントしたお金で早速買い物をしたそうである。買った物というのが、下の画像。

お分かり頂けるだろうか。業務用の冷凍庫である。この日のように家族が集まった時のために、氷を貯めておいたり、珍しい食材などを保存しておくのだそうだ。
私は、大学院に進む時など勘当寸前になるほど父と対立し、冷戦状態が続いたこともあったが、今なら素直に言うことができる。父よ、あなたは本当に家族思いの人だ。

さて、前の日記に続けて、もう少し、帰省した時のことを記しておこう。
今回の帰省は、法事への顔出しと、父の還暦祝いが目的だった。
父は今年62歳なので、還暦は既に過ぎている。では、なぜ2年も経って還暦祝いなのかといえば、2年前は、還暦を祝ってしまうと仕事に対する意欲がなくなりそうだ、という本人の意向があったからだ。今年6月末で、父がひとまず常勤の仕事を引退したため、還暦のお祝いをしようと、姉・妹・弟たちと話し合ったのだ。
7月の半ば頃から、兄妹間の電話とメールのやりとりを始めた。結局、8月2日の法事の後にお祝いをすることが決まり、また前回の日記の通り、料理など細かい準備については、弟夫婦が取り仕切ることとなった。
ここまでは、話し合いもスムーズにまとまっていったが、なかなか決まらなかったのが、プレゼントである。一時は旅行をプレゼントすることに傾きかけていたが、海外にするか国内にするか、飛行機にするか鉄道にするかなど、意見がなかなかまとまらず、その他諸々の理由から、結局、現金をプレゼントすることになった。
さて、当日である。1か月分の仕事の疲れを鬱積し、へろへろ状態で実家に辿り着いた私を出迎えてくれたのは、可愛い甥っ子たちである。4月の始め頃、私の家に泊まりに来ていた姉の子供達だ。
大人たちはといえば、皆、庭側にあるウッドデッキに出ていた。この日は、ちょうど近所の花火大会の日で、皆は花火を見ながら酒を飲んでいるところだった。

(→ http://fukuyama-s.or.jp/hanabi.html )
私も花火を見ようと、急ぎ着替えグラス片手にウッドデッキに出た途端、一発の打ち上げ花火が炸裂。すかさず、姉が「今のが最後の打ち上げ花火だよ。あんた遅すぎ」とご丁寧なお出迎え。そ、そんなこといったって・・・(T△T)。線香花火以上の寂しさを覚える打ち上げ花火であった。
花火大会が後わり、いよいよ父親の還暦祝いの開始である。参加者は、父と母、姉と義兄及び甥っ子3人、妹、弟夫婦、私の計9名。父には、還暦祝いを行うことを知らせていない。あくまで法事打ち上げの2次会という名目で、飲み会が始まったのだった。
ところで、皆は花火を見ながら飲んでいたので、この時点で私と甥っ子達を除き、皆既に酔っ払っている。なのに、父がブランデーらしきボトルを持ってきて皆のグラスに注ぎ込む。そして義兄の音頭にて乾杯。わが家はつくづく酒飲み一家だと思う。
ちなみに、銘柄が分からなかったが、乾杯で注がれた酒は1946年物のアルマニャックだった。豪勢だ。実家にいる時でないと、絶対に飲めない酒だろう(笑)。
乾杯したところで、義妹がロウソクの灯されたケーキを持ち、ダイニングへ入ってきた。いよいよサプライズである。ケーキを見た父は?マークを頭に付け、きょとんとしている。さらに、そこへ姉が熨斗袋を登場させた。そして、姉の合図で皆で「還暦おめでとう」の言葉を述べた。その途端驚くべきことが起きた。ようやく事態を悟った父が、号泣してしまったのである。
もともと涙もろい父であるが、あんなに泣いたところは初めて見る。皆もらい泣きしそうだったが、何とか父を泣き止ませ、無事、姉が熨斗袋を、弟が焼酎を手渡すことができた。下の画像は、左上から時計回りに、熨斗袋を持つ父と母、焼酎、われわれ6人兄妹、われらが家族。


このときまで意識していなかったが、いつの間にやら私の兄妹は、私を含め6人となっていた。図らずも我々6人兄妹の最初の共同作業となった還暦祝いは、予想以上に父が喜んでくれ、ひとまず大成功だったといえるだろう。
後日談であるが、父は、われわれのプレゼントしたお金で早速買い物をしたそうである。買った物というのが、下の画像。

お分かり頂けるだろうか。業務用の冷凍庫である。この日のように家族が集まった時のために、氷を貯めておいたり、珍しい食材などを保存しておくのだそうだ。
私は、大学院に進む時など勘当寸前になるほど父と対立し、冷戦状態が続いたこともあったが、今なら素直に言うことができる。父よ、あなたは本当に家族思いの人だ。





父の涙と三男三女六人兄妹


