2008年
07月
06日

梨木香歩『西の魔女が死んだ』を読みました!
 梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を読んだ。

 中学生の主人公まいは、学校に行くのをやめた。いわゆる登校拒否である。

 登校拒否をしている間、まいは祖母の家で過ごす。

 イギリスから英語教師として来日し、日本人と結婚した祖母。そして祖母は、魔女であるという。

 まいは、魔女修業として祖母の手伝いをしながら、毎日を過ごす。祖母と過ごしながら、成長していくまいの姿を描いた物語である。


 花を見ては美しいと思い、紅茶を飲んではおいしいと喜ぶ、森の中のお気に入りの場所を見つけてはうれしがる、祖母の家での毎日は、まいにとって感動に満ちたものである。

 まいの感動は、余りに素直過ぎるようにも感じたが、惰性でやり過ごしがちな自分の日常生活を振り返ると、こうした素朴な感動は、むしろ見習うべきものといえるか((^┰^))ゞ。

 ストーリーの単純さや、物語全体を通じて受ける爽やかな印象とは裏腹に、物語のテーマは、「死」という重いものである。この作品で貫かれている死生観は、次のようなまいと祖母とのやりとりの中に示されている。

 ある日、一緒に寝ていた祖母に、まいは尋ねる。
 「人は死んだらどうなるの」。 
 
 祖母は答える。
 「死ぬということは、ずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと、おばあちゃんは思っています」。

 という、キリスト教的な死生観が、この作品ではとられている。

 こうした死生観を、決して否定するつもりはないが、キリスト教になじみのない日本人がこの答えに納得するには、答えの出し方があっさりとし過ぎており、説明が不足しているという印象を受けた
(・_・?)。

 ただ、そのことで、物語全体の面白さが損なわれるわけではない。

 特にラスト。ネタばれになるので、次の言葉だけ抜粋しておく。

 「ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」

 これには、「うまいなー」と感心すると同時に、素直に感動せざるをえなかった(TmT)。魂の解放という死生観が存在するだけで、この物語は十分面白いのである。



 

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