横山秀夫『クライマーズ・ハイ』を読んだ。
主人公は悠木和雅。北関東新聞という群馬県にある架空の新聞社に勤めるベテラン記者である。
2002年秋のある日、悠木は死んだクライマー仲間安西耿一郎の息子である燐太郎とともに、群馬県谷川岳の衝立山の登頂を目指す。17年前、耿一郎と登頂を約束した山である。
この約束は、17年間、果たされてこなかった。1985年8月12日夜に群馬県で起きた重大事件に悠木が巻き込まれ、また同じ時、耿一郎が脳梗塞で倒れ、植物状態となったからである。その耿一郎も2002年に亡くなり、約束が果たされることは永遠になくなった。
1985年8月12日に群馬県で起こった重大事件といえば、いうまでもなく日航機墜落事故である。物語は、主人公の悠木が燐太郎とともに衝立山の登頂に挑みつつ、安西が倒れ事故の発生した17年前の8月12日からその後の1週間を回想するという、2つの時系列を軸に展開する。
と同時に、物語は2つの要素から成り立っている。
一つは、日航機墜落事故を巡る新聞社内の派閥抗争を描いた、企業小説としての要素である。
新聞社内の日航機事故の特任デスクを任された悠木は、遺族に対する詳報こそ地元新聞社の役割だと訴えるが、互いに揚げ足取りばかりを狙っている派閥抗争の前では螳螂の斧に等しい。
もう一つは、息子である淳との冷ややかな親子関係に苦悩する父親を描いた、家族小説としての要素である。
派閥抗争や息子との関係を前になす術もない悠木の無力感は、絶望的なほどである。正直、読んでいるこちら側まで息苦しくなる。
なぜ主人公は、こんなにも報われないのだろうか。思わず作者に不満を述べたくなる。
話が脇道にそれるようだが、日航機の墜落までの数時間は、以前読んだ山崎豊子の『沈まぬ太陽』で、克明に記されている。
かつてグライダーをやっていた自分は、『沈まぬ太陽』のその場面を読むたびに、自分の操縦するグライダーが操縦不能になる夢を見たものである。
『クライマーズ・ハイ』では、墜落までの数時間は詳しく描かれていないが、ある意味正解であったといえる。悠木の絶望感に、墜落を前にした機内の人々の絶望を積み重ねては、重苦しさに耐え切れないように思われるからである。
だが、こうした重苦しさがあるからこそ、ラストの感動は一際大きかった。
物語のラストは、衝立登頂の場面である。登頂を諦めかけた悠木に、燐太郎が思わぬ事実を告げる。
「さっきやってみて駄目だったんだ。アブミの最上段まで登ったが届かなかった。一番近いハーケンでも俺には遠すぎるんだ」
「届くはずです。だって―」
燐太郎の声に力がこもった。
「そのハーケン、淳君が打ち込んだんですから」
え・・・・・・?
悠木は上を見上げ、瞬きを止めた。
あっ・・・・・・。
ベタ打ちされたハーケン。錆の浮いたそれらの中で、一番近い場所に打ち込まれたハーケンだけが銀色の鈍い光を発していた(『クライマーズ・ハイ』)。
ようやく報われたのである。苦労に苦労を積み重ねて、ようやく大きな感動を得る。まるでスポーツのような小説であった。

主人公は悠木和雅。北関東新聞という群馬県にある架空の新聞社に勤めるベテラン記者である。
2002年秋のある日、悠木は死んだクライマー仲間安西耿一郎の息子である燐太郎とともに、群馬県谷川岳の衝立山の登頂を目指す。17年前、耿一郎と登頂を約束した山である。
この約束は、17年間、果たされてこなかった。1985年8月12日夜に群馬県で起きた重大事件に悠木が巻き込まれ、また同じ時、耿一郎が脳梗塞で倒れ、植物状態となったからである。その耿一郎も2002年に亡くなり、約束が果たされることは永遠になくなった。
1985年8月12日に群馬県で起こった重大事件といえば、いうまでもなく日航機墜落事故である。物語は、主人公の悠木が燐太郎とともに衝立山の登頂に挑みつつ、安西が倒れ事故の発生した17年前の8月12日からその後の1週間を回想するという、2つの時系列を軸に展開する。
と同時に、物語は2つの要素から成り立っている。
一つは、日航機墜落事故を巡る新聞社内の派閥抗争を描いた、企業小説としての要素である。
新聞社内の日航機事故の特任デスクを任された悠木は、遺族に対する詳報こそ地元新聞社の役割だと訴えるが、互いに揚げ足取りばかりを狙っている派閥抗争の前では螳螂の斧に等しい。
もう一つは、息子である淳との冷ややかな親子関係に苦悩する父親を描いた、家族小説としての要素である。
派閥抗争や息子との関係を前になす術もない悠木の無力感は、絶望的なほどである。正直、読んでいるこちら側まで息苦しくなる。
なぜ主人公は、こんなにも報われないのだろうか。思わず作者に不満を述べたくなる。
話が脇道にそれるようだが、日航機の墜落までの数時間は、以前読んだ山崎豊子の『沈まぬ太陽』で、克明に記されている。
かつてグライダーをやっていた自分は、『沈まぬ太陽』のその場面を読むたびに、自分の操縦するグライダーが操縦不能になる夢を見たものである。
『クライマーズ・ハイ』では、墜落までの数時間は詳しく描かれていないが、ある意味正解であったといえる。悠木の絶望感に、墜落を前にした機内の人々の絶望を積み重ねては、重苦しさに耐え切れないように思われるからである。
だが、こうした重苦しさがあるからこそ、ラストの感動は一際大きかった。
物語のラストは、衝立登頂の場面である。登頂を諦めかけた悠木に、燐太郎が思わぬ事実を告げる。
「さっきやってみて駄目だったんだ。アブミの最上段まで登ったが届かなかった。一番近いハーケンでも俺には遠すぎるんだ」
「届くはずです。だって―」
燐太郎の声に力がこもった。
「そのハーケン、淳君が打ち込んだんですから」
え・・・・・・?
悠木は上を見上げ、瞬きを止めた。
あっ・・・・・・。
ベタ打ちされたハーケン。錆の浮いたそれらの中で、一番近い場所に打ち込まれたハーケンだけが銀色の鈍い光を発していた(『クライマーズ・ハイ』)。
ようやく報われたのである。苦労に苦労を積み重ねて、ようやく大きな感動を得る。まるでスポーツのような小説であった。






横山秀夫『クライマーズ・ハイ』を読みました!


